【 村芝居とは? 】 約300年江戸時代から受け継がれてきた文化 【 秋の例祭 】
こんにちは。
のりです。
今週よりぼくの地元の秋祭りの風物詩である 村芝居 の練習が始まりました。
みなさん 村芝居 って聞いたことありますか?
きっと、ほとんどの方にとって何それ?って感じですよね。
ぼくの地元には昔から伝統として受け継がれている演芸の文化があるんですが、この催しは飛騨地方の中でも非常に珍しいものとなっています。
そこで今回、この町の秋祭りを語るには欠かせない 村芝居 について紹介していきたいと思います。
目次
【 村芝居 】って一体なに?
<月刊さるぼぼ2018年9月号の表紙より>
村芝居 とは、秋祭りで行われる演劇のことです。
秋になると町内の各神社ごとに例祭が行われるんですが、その例祭の前の夜(前夜祭)にこのような 演劇(時代劇) が催されています。
演じるのも、観客も地元の人たち。
神社の芝居小屋の前に町民みんなが集まって、物語を楽しみます。
普段は普通に仕事をしているご近所さんが ”侍” や ”町娘” に大変身。
ちょんまげのカツラをかぶって舞台に上がれば、そこはもう江戸時代の町の中。
玄人顔負けの台詞回しや立ち回り、観客のヤジと喝采が会場を沸かせます。
約300年の歴史があるこの村芝居は、地域住民によって今日まで受け継がれ、令和の今の時代も演じられ続けています。
昨年は、飛騨地域の地元情報誌「SARUBOBO(さるぼぼ)」に特集記事が載りました。
ちなみに、「村芝居」と呼ばれているのは、高山市に吸収合併する前は「村」だったので、その名残りです。
Who(誰が)やるの?
若連中 という地域住民の若い世代の人たちが中心となって運営しています。
町内に住む20代~30代がメインで構成されています。
現在では町内の4つの神社が村芝居を続けており、それぞれの地区の神社ごとに若連中がいます。
各神社ごとに10~15人くらいの若連中が集まっています。
<村芝居を続けている神社>
・黒谷白山神社
・一色白山神社
・野々俣神社
・荘川神社 (通称:合社「ごうしゃ」)
ちなみにぼくは、荘川神社の若連中に入っています。
若連中に入ると法被を着ることができます。
みんなが同じ法被を羽織っていると、次第と仲間としての士気が高まってくるんですよね。
スポーツ選手のユニフォームみたいなものですね。
法被の色はそれぞれの若連中によって違い、ぼくの所属している神社については紫色がチームカラーになっています。
とはいってもみんな素人。
普段は普通に会社に勤めている一般人です。
地元の先輩から教えてもらった芝居を、地元の後輩たちに教えながら後世へと受け継がれてきました。
最近では若者人口の減少によって、若連中の平均年齢が上がっています。
よって、地域住民だけでなく学校に赴任してみえた先生や、住み込みで高速道路の工事にみえている建設業の方にも参加してもらっています。
When(いつ)やるの?
お盆休みが終わり、次第に秋の気配がしてくる頃。
9月 に例祭が行われます。
開演はいずれも19時頃から。
<2019年の日程>
9月 1日(日) 黒谷白山神社
9月 2日(月) 一色白山神社
9月 3日(火) 野々俣神社
9月14日(土) 荘川神社
今年2019年は14日(土)、15日(日)、16(祝)と三連休になっています。
ぼくの神社の前夜祭は 連休初日 の14日にありますので、興味のある方は遠方からでも旅行がてらに来て、ぜひご覧になられてください。
曜日に関係なく毎年同じ日にちです。
Where(どこで)やるの?
町内にある 4つの神社 で行われます。
地図上に「鳥居マークの目印」が4ついていますが、左から右に向かって、
「野々俣神社」⇒「荘川神社」⇒「一色白山神社」⇒「黒谷白山神社」
の順になっています。
ぼくの所属している神社は、画面上部の国道158号線沿いのところ。
国道を挟んでななめ向かいには広い駐車場があり、車で来ても楽に駐車することができます。
車の交通アクセスがとても良い場所ですよ。
「荘川IC」から一番遠い「野々俣神社」も車で10分ちょっとあれば行けます。
What(なにを)やるの?
日本の江戸時代の 人情物語 を演じます。
先代の方が残された古い台本があるので、それに基づいて芝居の練習を積み重ねます。
しかしこの神社では毎年新作の芝居を披露しています。
台本を書くのは地元出身で芝居ベテランの ”師匠” と呼ばれる方。
自営業を営まれながら、一年かけて毎年新しい台本を書いていただいています。
まさに村芝居のシナリオライター(脚本家)ですね。
・・<村芝居のあらすじ例>・・・・・
舞台は江戸の日本橋。
団子やの主は、団子と世話を焼き。
三枚目の盗人は、おとぼけ笑いを誘う。
主役は、父上の命を奪いし悪党へ仇をうち。
町娘は、孤高に生きる主役に恋心を抱く。
奉行所への道中、江戸から追放されることを条件に、主役はその罪を見逃される。
結局、二人の恋は叶わぬまま。
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役者それぞれに個性を持たせてあり、綿密にストーリーが作り込まれています。
クライマックスに向けて伏線が張られているのもお見事です。
見ている人をぐっと物語に引き込み、ラストには涙を流す人もみえます。
とはいえ、演じているのは一般人。
セリフは忘れるわ、変な間があるわ、動きにキレがないわで、突っ込みどころ満載です(笑)
これでもみんな一生懸命やっているんですよー!
Why(なぜ)やるの?
神様への 奉納 と住民の 娯楽 として芝居を演じます。
日本の地域にはさまざまな独自の「祭り」がありますが、そもそもは神仏への奉納儀式というのが本来の姿でした。
神仏に対して供物等の様々なものが奉げられ、鎮魂や祈願の儀式が行われる。
地域をあげて行われているような 奉納儀式 のことが「祭り」でありました。
また、江戸時代に入ると、娯楽や大衆芸能として歌舞伎という演劇が流行りました。
今でいう、テレビドラマやお笑い芸人のバラエティ番組みたいなものですね。
テレビもYoutubeもない時代。
地方では歌舞伎芝居をまねして自分たちでやって楽しむようになります。
都から伝わった最先端の歌舞伎芝居というものを、こんな山奥の農村でもみんなが楽しめる 娯楽 の一つとして、各神社で即興芝居などが行われていたといいます。
この頃から荘川町の 村芝居 が始まりました。
つまり、
神様への (奉納) × 農村住民への(娯楽)
がコラボして村芝居は誕生しました。
みんなでワイワイ楽しく芝居をやって楽しむこともいいですが、これは神仏に対しての供物であることも忘れてはいけないところです。
師匠曰く、「今年の若者の出来栄えを神様に奉納する」その上で、「地域の皆様に楽しんでもらう」ことが大事だとのこと。
最後に
今年も祭りの時期がやってきました。
ふだんは物静かな田舎町が、この日だけはにぎやかなお祭りモードに入ります。
山や田んぼに囲まれた農村の夜。
煌々と灯りがともる舞台。
はしゃぐ子どもたちの姿。
赤色灯を振って交通整理をする人。
「たい焼き」や「たこ焼き」などの屋台ののれん文字。
神社の芝居小屋前にはにはたくさんの見物客。
国道沿いには街灯の明りくらいしかない田舎の夜道を車で走っていると、突如現れるこの異様な光景に目を奪われることでしょう。
たぶん初めてご覧になられた方は、この光景を不思議に感じるはず。
ここでは、村人たちが若者たちの芝居を楽しんでいます。
時間軸がちょっと平行移動して、はるか昔に流れていた時間が再び流れ出します。
それはきっとわたしたちの深い記憶に刻まれていたもの。
だって約300年も前から続いているんですからね。
まるで「千と千尋の神隠し」のように、きつねにつままれたような感覚を味わえることでしょう。
田舎の秋を彩る風物詩。
ぼくらはこの伝統を守り続けています。
さて、今年もがんばりますかー。
それではまた。